訪問記 No.6

訪問記 No.6

最初のページに戻る   訪問記一覧のページに戻る

訪問日 02/12/7−8

訪問先。日豊・日南線。

1.計画

博多駅から、「ドリームつばめ」で西鹿児島駅へ、前回訪問できなかった日豊本線の霧島神宮駅−北俣駅と日南線の志布志駅に近いところを優先して訪問し、時間があれば、宮崎駅の近辺の駅を訪問することとした。
「ドリームつばめ」を利用したのは、ANAの超割に合わせて販売される「九遊きっぷ」を利用するのに、博多駅の発車時刻が0:06と非常に都合が良いからである。

2.第一日(02年12月7日)

前回と違って博多駅は暖かい。四週間前(11月9日)のとの比較であるが、季節が逆戻りしたようだ。狭い改札内待合室で待つ人は少い。通勤客も通常の状況で、普通の週末のターミナル駅といった様相である。
「九遊きっぷ」は、残念ながらグリーン車は利用できないが、特急自由席は利用可能である。でも、念のため、普通指定席券を購入してある。結果は正解で、自由席は発車10分以上前で、ちょっと見たところ80%くらいの乗車率で、2人掛けに連れでない人と2人で座っている人も多い。指定席は、1人づつで、連れがある人だけが2人で座っている。
定刻の0:06に発車し、伊集院駅まで、何回も目が覚めたが、それなりには寝られた。
雨が強く振っている。車体に雨が降りつける音がしている。天気予報は雨だったので、覚悟はしてきたのだが、閑散区間の訪問なので、ちょっとがっかりである。
電話で聞く5時発表の天気予報では午後から曇りとなっているので、それに期待しよう。
「きりしま2号」で霧島神宮駅に向う。喫煙車(一部が自由席、一部が指定席)、禁煙席(自由席)、禁煙席(指定席)というわずか3輌の編成である。禁煙の自由席車は13名、指定席車は4名の乗車である。鹿児島の夜明けは遅く7時近くなってやっと山の端が明るくなるのでしばらくは車窓は楽しめない。
霧島神宮駅で定刻7:02に下車する。降りたのは私一人、乗車したのはゼロである。
雨が降っているし、地図で見ると次の北永野田駅までは6km以上の登り坂なので、9:58発の宮崎行き普通列車を待つことにする。
雨は、時折、小止みになるのだが、また降り出すという繰り返しだ。残念ながら、観光客数は極めて少なく、私の滞在した7:02から9:50まで、タクシーの利用者は一人もなく、待機する車は2台から6台になった。
北永野田駅に到着すると霧雨になっているので、トレンクル(折り畳み式自転車)での移動を開始した。トレンクルを利用をしないと霧島神宮駅から北俣駅までの訪問だけでほぼ一日を費やすので、雨が上がったのはありがたい。このあたりは山間部で開通が昭和初期と新しく、肥薩線・吉都線などかつての本線とは異なり、本線の重みはない。
西都城駅からは運転間隔が大幅に短くなる。再度雨が降ってきたので、青井岳駅からは電車での移動とし、この日は13駅の訪問にとどまる。
ここのところ、トレンクルのパンクに悩まされてきたが、新宿の自転車修理専門店で抜本的な修理をしてもらったので、快適な乗り心地となった。雨は少しがっかりだが、自然が相手では諦めもつく。
宮崎市内の宿泊したビジネスホテルは高速インターネットの利用サービスを行っていた。最近、高速インターネットが常時接続でも定額で利用できるため、この種のサービスが増えつつある。PCを持ち歩く私にはありがたい。

3.第ニ日(02年12月8日)

今日は、日南線の志布志駅に近い方を回ることにしている。
日南線は海岸に近いところを走っている。どこも駅間が短く、長いのは2回の峠越えの伊比井駅−北郷駅(駅間、9.2km)と榎原(よわら)駅−日向大束駅(同、8.1km)だけである。
トレンクルが活用できれば、伊比井駅−志布志駅の17駅に訪問できるのだが、昨日に引き続き天気予報はすっきりしない天気だといっている。
宮崎駅5:34発の志布志行で日向北方駅まで行く。途中、伊比井駅で14分、北郷駅で12分、日向大束駅で5分と定刻どおり停車し、「同一列車でも、改札口を出て戻ってこられる十分な時間があれば、その駅に訪問したものとみなす。」のルールに従い、ありがたく訪問駅とする。トレンクルはなるべく下り坂で利用したいので、峠越えの場合は峠に一番近い駅まで列車で行ってそこから下ることにしている。訪問駅となった3駅はすべて峠に一番近い駅で、トレンクルの走行距離が短くなり、その面でもありがたい。
霧雨になったので、トレンクルで日向北方駅から串間駅・福島今町駅を経て、県庁所在地名をつなげた宮崎県最後の駅である福島高松駅間に行く。さらに、トレンクルで、鹿児島県に入り、大隅夏井駅まで行く。このあたりは左手に太平洋を望むことができる。大隅夏井駅から志布志駅までは列車を利用する。折返しに53分ほど時間があるので、駅の周りを散策する。
まず見つけたのは、志布志線・大隅線の復活を求める小さな看板2つである。
志布志線は、元は、戦前に開業した西都城−北郷間であったが、1963年の南宮崎−北郷の開通により、南宮崎−志布志が日南線になり、西都城−志布志が志布志線になった。国鉄民営化の1987年に日南線は存続、志布志線・大隈線は廃止となった。線区だけで、廃止・存続が決まったわけではないだろうが、線名・区間というのは恐ろしい。
また、南宮崎−北郷の開業では旧・宮崎交通の路線を再利用したとのこと。木花−折生迫(おりゅうざこ)のそれぞれの駅間が1km余りと短いのはそのためかと納得した。宮崎では廃線利用の鉄道施設の実績があるため、「志布志・大隅線の復活」が話題になるのかもしれない。残念ながら、志布志駅は日南・大隅・志布志の3線のターミナルであった頃から移転しており、当時を偲ぶことはできない。
現在の志布志駅は無人駅であるが、志布志駅の始発・2番列車の運転手は志布志駅で宿泊するらしく、運転手が4時・5時に起床するので、22時以降は駅舎では静かにする要請の張り紙がある。
志布志駅からは列車で峠に一番近い榎原(よわら)駅まで、さらにトレンクルで油津駅に向かう。大堂津−油津は海岸線沿いなのだが、JRの線路は海岸線沿いにほとんどアップダウンがないように見えるのに、国道220号線は断崖の上をアップダウンを繰り返しながら行くので、つい愚痴が出る。でも、線路を見下ろすのも一興かと思い直して、トレンクルを押したり、乗ったりして油津駅に向かう。
丸ポストが駅前にある飫肥城を模した飫肥駅から、宮崎空港線の分岐で新設された田吉駅を経て、宮崎空港から帰京する。

今回の成果は31駅、通算8161駅の訪問(訪問後の廃止駅を含む。)で、残りは1515駅(旅客扱いせず、徒歩で簡単に訪問できない駅は除く)となった。