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 はじめまして。東京都在住です。鉄道を趣味とする一市民です。1952年生まれ、三重県出身です。

 1980年から国鉄では「いい旅チャレンジ20,000キロ」というのがありました。私はそれより前に社会人になったのですが、学生の頃、国鉄の終端駅にこだわっていました。必然的に乗車区間の割合が多くなり、北海道の終端駅にはすべて行けませんでしたが、その後、未訪問の終端駅や未乗車区間は廃止され、結果的にJRは国鉄のときの乗車を含めれば、全線乗車となりました。最後に残った宮崎空港線にも2002年11月10日に乗車しました。
 その頃は、大好きな客車列車が相当残っており、ローカル普通列車も列車番号に「D」等の付いていないのを選んだものです。山陰本線には「門司」から「福知山」という最長普通列車「824列車」がありました。「九州・均一周遊券」で九州内を夜行列車で南北・東西と乗りまくった後、門司に早朝着き、そのまま824列車に乗り換え、福知山では後続の京都行きに乗り換えて、帰ったものです。
 客車内の床を磨いた油とたばこと思われる独特の臭いをかぎながら、通勤・通学時間帯以外は4人席を独占して、山陰のさびれた風景をのんびり眺めながら、パイプたばこをゆっくりくゆらし、至福の時をすごしました。
 九州の均一周遊券では山陰本線の利用はできませんでしたが、九州で十分に元をとりました。当時は、普通急行の自由席がたくさんあったのです。

 私が生まれ育って、高校3年まで過ごしたのは、鉄道からはずいぶん離れたところでした。最寄り駅(関西本線の亀山駅)から6kmくらいで、幼い頃は、列車の通過音が聞こえたりとか、汽車を見に遊びに行ったとかはありません。そういった意味では、幼いころの憧れが、そのまま大人になって汽車を趣味にしたわけではないので、生え抜きの汽車好きとはいえません。大学1年のとき、日本海縦貫線が全線電化されて(それは後で知ったことなのですが)「きたぐに」の自由席で北海道へ友人と行ったのが、汽車好きになるきっかけでした。したがって、くやしいのですが「タタントン」といった列車音が身体にしみているというのではありません。

 私の汽車好きは、「乗る」ことです。JRにすべて乗ったこととすれば、私鉄の乗りつぶし(駅訪問中は乗りつぶしを意識していなかったので、達成は2005年10月30日)ではあまりにも簡単そうなので、1994年に、JR・私鉄(含ケーブルカー)の全駅訪問を思い立ちました。
 1999年4月17日から、トレンクル(折畳式の携帯自転車)を利用し、順調に訪問駅数を伸ばしてきました。2002年1月14日からは、コストと時間の観点から、飛行機の利用を始めました。
 全駅訪問を開始してからの列車乗車時間が、当初目標の10000時間の半分強の約5350時間になりましたが、長距離の飛行機移動を導入したので、時間数が少なくなったのは当然のことです。

 2004年12月31日に全駅訪問を達成しました。ただし、自らが定めた全駅訪問のルールに則っていない訪問がありました。全駅訪問後は、ルールどおりでない訪問の解消を行いました。(2008年9月6日に区界駅を最後に完了) また、列車に乗車も下車もしていない駅(徒歩、携帯自転車での訪問)があり、全駅で列車に乗車または下車をするべく(2010年8月4日に津島ノ宮駅を最後に完了)再訪問を行こないました。よろしければ、こちらをご覧ください。